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梅千代の創作物の保管庫です。
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僕は自分の分の珈琲に口をつけた。シモンが手ずから淹れてくれたものだが、実を言うと僕はこれをあまり好かない。舌が慣れてない所為かもしれない。

シモンに与えられた家は、日本家屋に無理矢理西洋家具が突っ込んであり混沌としている。身の回りの物は新品ばかりだけれど、本だけはシモンの愛蔵品をそのまま運んで来た為に古いようだった。

珈琲の薫り、古い本の薫り、インクの薫り、新しい家の薫り、混じりあってぐちゃぐちゃなのにどこかほっとするのは何故だろうか。

「ああでも、やっぱりシュウは良いな」

シモンも珈琲を一口飲んで、香ばしい息と一緒に懲りずに言った。僕はもう苦笑いをすることしか出来なかった。

「そういうのを日本では"隣の芝生は青く見える"って言うんですよ」

説明を交えつつ僕はまた慣用表現を口にした。シモンはふむふむ、と興味深げに頷いてみせた。そして彼は一瞬の間の後ににやりと不敵に笑った。

「ま、私は緑の目をした怪物だからね!」

彼はがおー!!と指を鉤爪のように曲げて獣が襲いかかるようなふりをしてみせた。突然彼が動き出したので、僕は驚いて身を引いてしまった。

怪物?彼が?

彼は一体どういう意味でそう言ってくるのだろう。

「……怪物だなんて言わないで下さい」

僕が、珍しく彼が自嘲的になっているのかと少し切なくなって諭すと、逆に変な顔をされてしまった。それからシモンは凄く嬉しそうな顔になって、

「その反応はこのジョークの意味が解ってないな!」

と笑った。

「え…ええ?」

今度は僕が間抜け顔をする番だ。

「イエスッ!!やったー!!やっとシュウが知らない言い回しを見つけたよ!シュウってば語学勉強中とか言いながら全然ミスしてくれないんだもん!」

褒められているのか貶されているのか。取り敢えず、揚げ足をとられて良い気はしない。内心憤然としながら、僕はどういう意味なのか尋ねた。

「これはね――」

シモンは言いかけて、やめた。

あ、凄く嫌な笑い方をしている。

「…なんでも知らない事を教えるだけじゃ駄目だよね!確か、孔子もそんな事言ってたしね」

孔子の名前が出てきた事に驚きつつ、それは少し意味が違うんじゃないかと思いつつ。

「自分で頑張って調べてごらん」

シモンはニヤリと笑った。

隠しきれずむくれる私を見て、シモンは更に呵呵大笑した。彼は悪戯っ子の様な目をして、わかったら使ってごらんよ、と笑い過ぎて逆に苦しそうにしながら言った。

辞書に載っている語彙が少ないのか、シモンの言葉が珍し過ぎるのか。僕はシモンの冗談の答えを見つけ出す事が出来なかった。やきもきしている僕を見て、シモンは本当に嬉しそうな顔をする。彼は良い趣味の持ち主のようだ。……はぁ。

その後暫く彼への対応が少し雑になった気がするが、身から出た錆と言うやつだ。シモンも僕に大して少々やり過ぎたと思ったのか、ある日三日間の暇をくれた。無論僕はその間二度と揚げ足をとられぬよう一層英語の勉強に励んだのだが。

しかし答えは解らないまま月日は過ぎ、僕の方ももうそんな冗談だか成句だかはどうでもよくなっていった。

ただ……流れる月日の中でも、消えないしこりが一つだけあった。それはやはりあの、秋の紅葉狩りの時の事件。

実はシモンと過ごしている時、僕は何度も、本当にあれで良かったのだろうかと迷ってしまっていた。尊敬する師に対して、一人の人間として、あの時の判断は、本当に合っていたのか。もっと良い方法があったのではないか。このまま彼に笑いかけて貰っていいものなのか。

僕は自分のこの惑いが、シモンに勘づかれてなければ良いと願っていた。



シモンは来日して三年ほど日本に居座った(本当に日本がお気に入りのようだった…視察では済まないのではないだろうか?)。会者定離。出会いに別れは必須であるのだ。彼は大きな、それこそ化け物の様な船に乗って、英国に帰っていく。


雪が吹雪いていた。潮がきつく薫っている。空気もなんだか重くて霧が出来そうなほどだ。海風は差すように冷たい。番傘を持つ手の冷えが痛みに変わっていた。

「君は僕の生徒で友人だからね、いつでも遊びに来てくれよ」

別れ際、彼はそう言って僕に握手を求めた。僕はしっかりと暖かい彼の掌を握りしめて――まだ、迷っていた。きっと彼の心に傷を作っただろう、あの紅葉狩りの真相。

言うべきか、言わざるべきか。迷いで唇が戦慄いた。

幕府の存続も危うい今。世の中が渦の様に乱れ目まぐるしく変わっていく今。明日生きていられるのか確証が持てない――今。

そんな時代に僕と彼は生きている。もう再び会うことが無いかもしれない。これっきりかもしれないのだ。

だから、僕は。

気がつくと僕は日本語で泣きながら捲し立てていた。

あの時の事を全て僕は日本語で吐露した。卑怯者だ、僕は彼の言葉で事実を伝えることが出来なかった。彼の信頼の全てを失ってしまうんじゃないか、そんな事はあの時覚悟した筈なのに恐怖は水嵩を増し僕を飲み込んでしまっていた。

シモンは同情しているような、痛ましいものを見るかの様な目で僕を見ていた。彼は僕の背中を軽くぽんぽんと叩いてくれた。まるで、赤ん坊をあやすかのように。

ボーッと汽笛が大きく鳴る。僕は卑怯者のまま、彼と別れなければならない。

「ミスター、僕は…ッ」

言いかけて、僕は静止した。

シモンは優しく、僕に微笑んでいた。

汽笛がもう一度鳴る。びりびりと響き渡る音の中で、僕の目はシモンの口の動きを捉えた――。

「それじゃあまたね!!」

シモンは荷物を抱えると慌てて船に乗り込んでにっこりと笑って手を振った。

僕は呆然と、港に突っ立っていた。

凍てついた風が頬を刺して過ぎていった。

手を振り返す事が出来なかった。


"I know it."


彼の唇は、確かにそう動いたのだ。

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