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梅千代の創作物の保管庫です。
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すう、と吸い込んだ空気は先程まで雨が降っていた所為でしっとりとしていた。

「顔を上げてください」

恐らく、この村で一番豪奢な――つまりは並みな部屋――に通され、暫く待っていると村長が現れて平伏した。許しを貰うと彼はゆっくりと顔を上げた。

自分より四十ほども年上のその人は怯えきった表情をしていた。

まったく、罰を恐れているからといって、心情が表情に直結しているというのはいただけない。所詮は辺地の村の長か。

「此度のこと、そちらはどの様に考えているのですか?」

圧をかけるように、なるたけ低い声で僕は尋ねた。それだけで、老の肩は震えた。しゃがれた声が答えた。

「まっこと、申し開き様が御座いません…!!件の娘は牢に閉じ込めてあります!」
「殺すな、痛めつけるな…という言葉は守っていますか」
「………はい」

少し視線が揺れたが及第点。少女は無事であるようだ。

「この問題は村全体の責任です」

ぴしり、と言い放つと同時、老の額からつぅ、と冷や汗が伝った。

「…仰る通りで御座います」

彼は再び深く礼をした。僕はふぅ、とため息を吐いて――そしてにやり、と笑って見せた。顔をあげた翁は僕の表情を見て目を見張った。それから先程まで絶望しか見られなかった彼の瞳には、希望がうっすらと差した。

畳の湿気った匂いがまた肺に入る。

「しかし、この事を不問にする事に関して、此方はやぶさかではありません」

僕はくくく、と笑った。

「いやぁ、見物でした。いえ、私も異国人というのが嫌いでしてね……あの異人が石を投げつけられる所なんてもう二度と無いでしょう。小気味が良くて、実に愉快だった…」

老の表情はますます明るくなっていく。僕はそれに対し嫌悪を抱きつつも笑顔で続けた。

「無かった事に致しましょう」
「!!」

村長も、ひかえている者達も緊張が一気にとけ、室内の空気が弾けたように弛んだ。

「ああ、ああっ、ありがとうございます!」

今時村を潰される事も無いだろうに、大形な事だ。侮蔑の念を抱きつつもその単純さに頼っている自分がいる。

僕はざらつく畳に足を滑らせ立ち上がった。

「あの異人の手前、乱暴をしてしまいましたが…あの少女は、随分と威勢が良いですね。此れからの日本人は、ああでなくてはいけません。誉めてやっておいて下さい。」

不問に処すどころか件の少女を評価する僕に、誰もが共感していた。

あの親日家が前に言った通り、今や村を窮地に追いやった娘は村の英雄へと姿を変えた。

しかし、と僕は続けて言う。

「次はありません。今回は運が良かったと思って下さい。またこのような事があったら――」

僕は表情を消して言った。

「それなりのお覚悟を。」

弛んだ空気がまたピンと張り詰めた。それぞれが息をのんでいた。

外へ出て、あの、背後の山を振り仰いだ。この前と同じように赤く燃え盛っていたが、所々くすんだ赤茶が錆のように交じり始めていた。どんよりとした雲は僕に世界が灰色であるように思わせた。





僕の最近の役目というと、英国から我が国の視察にやって来た異邦人の案内や世話をする事であった。

面倒じゃあなかった、と言ったら嘘になる。僕は外交に携わりたいという一心で語学を学んできたというのに、これじゃあを体よく利用されて、雑用を押し付けられたも同然だ。不満は当然あった。

しかし、その様な心持ちのままでは仕事に支障が出る。思い悩んでいる時、僕はその異邦人が英国の政治学の権威であると聞きつけ、認識を改めた。

無駄だと思う仕事なら、価値ある何かを見出だせば良い。我が身の糧になる物は何だって取り入れてやろう。

僕はその英国人――ミスター・シモンから、異国の知識を掠め取ってやろうと決めた。

「はじめまして、シュウイチ!」

明るく挨拶をしてきた彼は、全身の色彩が余すところなく淡かった。睫毛まで金に光っていて、目が慣れるまで随分な時間を要した。

はじめまして、宜しくお願いします…精一杯覚えた英語はちゃんと通じたらしく、ミスターはにっこりと笑った。

そして、利用してやれ、という僕の思惑は直ぐに勘づかれた。瞬殺である。

「それで、シュウは何が知りたいんだい」

初対面で、そう尋ねられた。深いモエギの目に覗き込まれて、胆が潰れるかと思った事は記憶に新しい。悪い事は一切行っていなくても、説教をされている気分になった。

シモンは僕をとても知りたがりだと言った。一目で解ったと。そんな貪欲そうな目を向けられて解らない訳無いじゃないかと言われると流石に赤面せざるを得なかった。シモンはそんな僕に対し、私と一緒だね、と笑った。

シモンは僕と同様、否、それ以上に知ることに対して盲目的だった。シモンは我が国の文化を知りたいのだと言う。何気無い事でも、僕の知ることを教えると大層喜ばれた。

だから今、シモンがごねているのも「知りたがり」の一つなのだろう。


「いいなー!!甘味!!だんご!!」

駄々をこねるようにシモンは足をばたばた踏み鳴らした。机の上にのっている二杯の珈琲が小刻みに揺れ、スプーンが跳ねて音を立てた。

……自分よりよっぽど学があり、年も四つ上な方なのに何故だろうか、非常に幼く見える。本の沢山並んだ書斎にいる、髭をたくわえた、立ち上がると自分より一尺も大きな体の子供である。

シモンは机に突っ伏して唸る。

「もー!ランチの前にそんな話をするなんて、シュウはなんて残酷なんだ!」
「…言い出したのはミスターの方ではありませんか…」

政治学の話をしていた筈が、何をどう間違ったか甘味の話になってしまったのだった。しかし言い出しっぺはシモンの方だったと記憶している。

「いいなぁ、いいなぁ!しるこ、ひがし、おはぎ、もなか、はぁ~~~~」

じとりと何故か僕が睨まれた。理不尽だ。僕はもぞ、と座り慣れない洋風の椅子の上で少し身を捩った。

「いいねぇ、シュウは…」
「…食べに行きますか?」

片肘をついて、ぼうっとシモンは言った。あんまりに羨ましそうに言うので、ため息混じりに僕は尋ねた。

おそらく彼が一番欲している提案を僕はした。僕にとっては許可をとったりと面倒が増えるだけなのだが…。

シモンは一寸考えて、いいや、と首を振った。僕はきょとん、としてしまう。

意外だった。

以前だったら目を輝かせて飛び付いてくる話だったのに随分とおとなしい。だが僕はすぐにああ、と得心した。

――流石に先の紅葉狩りが響いているのか。

シモンが手続きをとったりする僕の苦労を気遣ってくれているとは思えないし、きっと再びこの国の人々に拒絶されるのが恐いのだろう。あれは彼にとって中々に衝撃的な出来事であっただろうから。

ついでに、あの時の自分の失態を思い出して僕もまた内心落胆した。

「いいなぁー…」

シモンは尚も続ける。僕は悔しくなって、思わず言い返した。

「私には、ミスターの方が余程羨ましく思えますが」

ん?とシモンは目をあげた。モエギが光って……とても、眩しい。

畳み掛けるように僕は言った。

「欧米の技術力の高さや政治体制の効率的な事に、そしてそこに住めること、その権利を持っている事には本当に憧れます。今はまだ日本の体制は劣悪で、日本人の渡航は基本的に禁じられていますから」

シモンは姿勢を正した。

「……危険を侵して、あちらに渡るつもりは?」

それだけ話せれば向こうで困ることも無いだろうとシモンは真面目な顔になって言った。少しだけ考えて、僕は空笑いした。

「うーん、失敗した時を考えると。死んだらもう、知ることが出来なくなってしまいますから」

堅実な知りたがりなんだな君は、とシモンも笑った。

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