梅千代の創作物の保管庫です。
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『永い、月夜のざれごと』
その遊廓の同じ様に狭い部屋が数ある中で、一等豪奢な部屋に二人はいた。
開けられた窓からは秋の夜の、ヒンヤリとした空気が静かに流れ込んでいる。それぞれの火照った体はその夜風にゆるゆると冷やされていた。
気だるそうに身を起こした女の衣擦れの音で、男は目を覚ました。下弦の月が柔らかく女を照している。白く輝くその肌に、男はそっと手を伸ばした。
「ああ、起こしちまったかい」
女は目を伏せて男を見た。睫毛が艶やかに光った。今は乱れてしまっているその髪も、情事の後の女の淫靡な美しさを表すのに一役買っていた。
汗と花の匂いがした。
「やっぱり貴女は、綺麗ですね」
「ふふ、そりゃあ有り難う――煙草、呑んでもいいかねぇ」
男の感嘆の言葉を軽く流して、女は問うた。男は黙ったまま頷いた。
くぁ、と一つ欠伸をして、男の方も身を起こした。まだぼうっとして眠い目を擦り擦り、軽く衣服を整える。彼の動作にはしかし張りがあり、どこか凜としている。女からすれば男の方が余程美しいと感じられた。
女はチラリと男の筋ばった手を見た。……体はまだ少し、熱い。
女は煙管を手に窓際の壁に凭れた。慣れた手付きで煙草に火を点ける。ふぅ、と女が息を吐くとゆらりゆらり…甘い煙が部屋を漂った。
「ねぇ、知っていますか」
暇を持て余したのか、男はくつりと笑って唐突に話し始めた。
「異国人は、人間の生き血を啜るらしいのですよ」
「へえ、」
女はキョトンと、何も知らない少女みたいに驚いてみせた。それを見て、男も一寸驚いて、それからくくく…と心底可笑しそうに笑った。
「冗談ですよ。異国とはいえ、彼らも人間に相違無いのですから」
「――アア、もう……長崎の貿易商が言うんであたしャてっきり…」
女は具合悪そうに、片手で軽く髪をすいた。更に言うなら、彼女は普段柔婉で礼儀正しい男が冗談を言うとは思っていなかったのだった。
「其れにしても無風流な事を言い出したもんだねぇ、アンタ」
悔しさもあって女は眉をひそめた。ほんの少し機嫌を損ねた彼女に素直に軽く謝罪をする男は、やはり平生と変わり無かった。
ざぁ、と風が吹き込み、女は肩を震わせた。風に流された雲がうっすら月を隠した。耳を澄ますと、虫の鳴く声がしている。
薄暗い中、気まぐれでも起こしたのか、女はにたりと笑った。
「あたしの同類が外の国にいるのかと思ったよ」
「!」
女の戯れ言に直ぐに気が付いて、男も調子を合わせた。
「――おや。それは初耳ですねえ」
女はカコン、と煙管の灰を鉢に捨てた。
「だって、若い男の生き血は旨いから」
ころりとまだ熱い煙管を窓辺に転がす。彼女は畳に手をついて男ににじり寄った。
「外国には、バンパネラという、人の血を吸う怪物がいるらしいですね。夜な夜な人を襲って、永い時を生きる…」
そんな女の額や頬に軽く口付けを落としながら、男は語った。女はふーん、と相槌を打った。
「噂もあながちデマでも無いって事かしらねぇ」
「いえ、ただの伝説ですが…彼らの弱点は日光と――心臓に、杭を打たれてしまう事だそうです」
女は男に擦り寄って妖艶に笑う。前が緩くなった襟元からは豊満な胸が覗いていた。
「旦那はあたしをたかぁく買ってくれる優しい御方だから……あたしに杭を打ったりしないよね?」
男には女が寧ろ夢魔であるように思えた。
「ふふ、どうでしょう」
秋の夜長のひとあそび。否、ひとあそびじゃあ足りゃあしない。だって、夜はまだ永い。あんまりに永い。
女は男の前から抱きついて、そのしっかりとした首筋にかぷりと柔く噛み付いた。
—————
友人に投下した三つのお題を自分でも書いてみたでござるの巻
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『薄紅の涙』
縁側には大分傾いた陽射が木々を透して降っていた。避暑地で有名なだけあって、それは随分と柔らかだ。ざぁ、と風が抜けていくと身の回りの湿気も流れていく気がした。
私は一つため息を吐いた。
手にしている小説は持っているだけで、さっきから全く進んでいない。っていうかSFか随筆かはたまた論説文か、そんなことすら認識出来ていないのだ。それではもう読んでいるとは言えないだろう。
私は内容に集中するのを諦めて本を閉じた。暗く落ちそうになる意識を留めるように、隣で気持ち良さそうに丸まっていた猫のタマに手を伸ばす。ふんわりとした毛並みは気持ちが良いけれども、夏場には少し野暮ったかった。
しつこく弄っているとタマはむずがって何処かへ歩いて行ってしまった。安眠妨害、申し訳ない。
タマと入れ替わりに、誰かの足音が床板を伝わって響いた。此方に近付いて来ている。私は思わず顔をしかめた。
「よう、出戻り女!」
不躾にそう言って、廊下の角からひょっこり顔を出したのは、幼馴染みの大樹だった。彼の手には、両側につかみがあるお盆がある。その上にはざっくりと大きく切り分けられたスイカが真っ赤に輝いていた。よく熟れたそれはじわりと汁を溢した。
私は黙ったまま、ぎろりと大樹を睨んだ。大樹はこたえずにへらへら笑って、縁側、私の隣に腰掛けた。彼はお盆を私と彼の間に置いた。
「ばばあんとこで採れたスイカ、」
端的にそう言って、私にすすめるでも無い。ただ、大樹は促すように切り分けられた一つをつかんでかぶりついた。ぼたぼた、と盛大に食べ溢して、大樹は慌てて前のめりになる。
てんてん、と薄赤の染みが足下に滲む。大樹の白いシャツにも幾らか。
あ、血、みたい、かも。古傷が思い出したようにじんわり痛んだ。
「…餓鬼かよ」
「あ?」
「相変わらずきったない食べ方するよねぇ」
色んな事を振り払う為、見てらんない、と私は悪態をついた。だって、五つ年下の此奴は昔からこう、要領が悪い。
大樹の事は私が八つか九つ位の時からよく面倒を見てやったものだ。ぶっちゃけてしまうと大樹は小さいから私がどうしてやらなきゃという義務感よりは――親達の評価が欲しい、という側面があった。
ちっちゃい大樹は私の悪どい狙いには気付かず、純粋に私になついていた。文姉ぇ文姉ぇと鬱陶しいほど何処にでもついてきた。生意気でちょこまかと動き回る癖、あんたの言うことだけはきくのね――とよく言われた。
本当は、手段だったのにと大昔の事にちくりと掠める罪悪感は、私の心が弱っているからだろう。
そういえば喉が渇いている。隣で無心にスイカにむしゃぶりつく大樹の姿も手伝って、私もスイカを一切れ手にとった。
一切れと言うにはあまりにでかい。ずしりとした重みと、軽く刺すように広がる冷たさ。直ぐに体温と馴染んでいく。
「よく冷えてんだろー。川にずっと浸けといたからな!」
此方を見て大樹は誇らしげに言った。
………川?
網に容れられたスイカが清流に揺らされる、なんとものどかな情景が頭をよぎった。
「流石ド田舎…」
ぼそりと呟くと大樹はけらけら笑った。笑い声を聞きながら一口、かぷり。直ぐにじゅわりと溢れる果汁を慌てて啜る。私は大樹の様な不手際はしない。
「スイカって漢字でどう書くか知ってる?」
「ええーと、南の瓜?」
「ばか、それはかぼちゃでしょう」
かぷり、また一口。
「ああ、じゃあ西の瓜だ」
大樹は食べきったスイカの皮をお盆の上にカラリと転がした。
「良くできました」
「馬鹿にしてるなぁ」
大樹は二つ目のスイカに手を伸ばす事もなく、膝の上に肘をついて、此方を凝っと見てきた。なんだ、喧嘩売ってんのかと軽く睨むと、大樹はふいっとまた前に直る。一体何だと言うのだ。
「文さん、やっぱ叔母さん達は怒ってる?」
私はむっとしながら答えた。
「怒るどころじゃ無いわよ、あんなん!」
「だろうねー。出戻りとか離婚とか、あまり外聞は宜しくないし。それにしても短かったね」
家を出てたかだか三年でのこのこ帰ってきた娘に対し、家族は冷やかだ。
「私が悪いんじゃないって、言ってるのに」
恋愛結婚だった。それなのに、夫との結婚生活には直ぐに齟齬が生じ始めた。あの野郎にとって妻とはただの家政婦であり、奴隷であり、女ではないのだ。
DV受けて不倫されたのでなけなしの貯金はたいて離婚調停終結させて帰還しました、まる。
よくある話。
そんな身も心も疲れ果てた娘にバッシングとか…まじ無いわ。
大樹はふーん、と気の無い返事をしたから、ああコイツも敵方かと軽く落胆した。確か、私の結婚に両親以上に反対していたから、ざまぁみろとか思われてるんだろう。
孤立無援は虚しい。
「頑張ったなぁ、文さん」
ヘソを曲げて取り敢えず目の前のスイカをやっつけちゃおうともぐもぐやっていた時だった。取り敢えず、ぷぷい、とスイカの種を吹っ飛ばす。
聞き間違えかと私は大樹に向き直った。
「よく頑張ったな」
淡く微笑んで、大樹はわしりわしりと私の頭をかいぐった。
「ちょ、やめ」
「文さんは純情だしな」
敵に思えていただけに混乱する。
じわり。もう渇れきった筈の涙が、また両目から溢れてきた。
ああああ。もう、スイカなんかで水分補給したせいだ!大樹の馬鹿。馬鹿野郎。
初の、私の戦闘への評価が心に染みない訳がない。
馬鹿な男に引っ掛かって、周囲の反対振り切って上京して、離婚して。最悪の三年間。何って、私が。
でもね、一応私にも、汚い名誉欲っていう背景はあったかもしれないけれど、あんたの立派な『お姉ちゃん』の誇りがあるんだよ。五つも下の男に慰められたら、こんな所で大泣きしたら、また情けなくなるじゃないか。悔しいだろが。
しかし両目からはぼたぼたとさっきのスイカの水分が止まらず、喉からは嗚咽なんかも漏れていた。
大樹はくつり、とまた笑った。
「流石文さんは見る目無かったねぇ。昔っから頼り無さそうな駄目男ばっかり好きになってさ。それで地元の男には目もくれずにさらに上をいく駄目人間を…」
「ひどっあんたねぇ、」
撫でてくる手は優しいのに、掌を返したかのようなあんまりな言い草に大樹の手を振り払う。
ふざけんなと噛みついてやろうとボロボロの顔のまま頭を上げると、
「皆は離婚なんてって言ってるけどさ、俺は、そのぉ、間違いって誰でもあるっていうか…」
大樹はらしくない調子で、一生懸命に言葉を紡いでいた。違和感に、私も少し戸惑ってしまう。
「文さんが離婚してくれて…俺は嬉しい」
あれれ?
ひりひりする目を擦って、ぱちぱち大樹を見る。大樹はばっと目を逸らした。更にきょとんとしてしまう。あれ、あれ。どうして耳まで赤くなっちゃうの?
「――ッそれじゃあ、俺用事あるからっ」
大樹は勢いよく立ち上がった。私はまだぐるぐる、考えこんでいて。
またドタドタ音を立てて大樹は縁側を去っていった。段々遠くなる足音。
そういえば、いつからだっけなぁ、大樹が私を文姉ぇって呼ばなくなったのは。
時が経つと徐々に頭が冷えてくる。いっぱいいっぱいなのに余裕があるふりしちゃってさ、やっぱり可愛い弟分。
だからごめんね、ありがとう。
「あ、タマ」
入れ換わるように戻ってきたタマはゆるゆると尻尾を揺らしていた。静かになった縁側には、りりぃ…りりぃ…とか細く虫が鳴き始めていた。
―――――
お題うまく使えなかった(´・ω・`)
2011/12/03 rewrite
縁側には大分傾いた陽射が木々を透して降っていた。避暑地で有名なだけあって、それは随分と柔らかだ。ざぁ、と風が抜けていくと身の回りの湿気も流れていく気がした。
私は一つため息を吐いた。
手にしている小説は持っているだけで、さっきから全く進んでいない。っていうかSFか随筆かはたまた論説文か、そんなことすら認識出来ていないのだ。それではもう読んでいるとは言えないだろう。
私は内容に集中するのを諦めて本を閉じた。暗く落ちそうになる意識を留めるように、隣で気持ち良さそうに丸まっていた猫のタマに手を伸ばす。ふんわりとした毛並みは気持ちが良いけれども、夏場には少し野暮ったかった。
しつこく弄っているとタマはむずがって何処かへ歩いて行ってしまった。安眠妨害、申し訳ない。
タマと入れ替わりに、誰かの足音が床板を伝わって響いた。此方に近付いて来ている。私は思わず顔をしかめた。
「よう、出戻り女!」
不躾にそう言って、廊下の角からひょっこり顔を出したのは、幼馴染みの大樹だった。彼の手には、両側につかみがあるお盆がある。その上にはざっくりと大きく切り分けられたスイカが真っ赤に輝いていた。よく熟れたそれはじわりと汁を溢した。
私は黙ったまま、ぎろりと大樹を睨んだ。大樹はこたえずにへらへら笑って、縁側、私の隣に腰掛けた。彼はお盆を私と彼の間に置いた。
「ばばあんとこで採れたスイカ、」
端的にそう言って、私にすすめるでも無い。ただ、大樹は促すように切り分けられた一つをつかんでかぶりついた。ぼたぼた、と盛大に食べ溢して、大樹は慌てて前のめりになる。
てんてん、と薄赤の染みが足下に滲む。大樹の白いシャツにも幾らか。
あ、血、みたい、かも。古傷が思い出したようにじんわり痛んだ。
「…餓鬼かよ」
「あ?」
「相変わらずきったない食べ方するよねぇ」
色んな事を振り払う為、見てらんない、と私は悪態をついた。だって、五つ年下の此奴は昔からこう、要領が悪い。
大樹の事は私が八つか九つ位の時からよく面倒を見てやったものだ。ぶっちゃけてしまうと大樹は小さいから私がどうしてやらなきゃという義務感よりは――親達の評価が欲しい、という側面があった。
ちっちゃい大樹は私の悪どい狙いには気付かず、純粋に私になついていた。文姉ぇ文姉ぇと鬱陶しいほど何処にでもついてきた。生意気でちょこまかと動き回る癖、あんたの言うことだけはきくのね――とよく言われた。
本当は、手段だったのにと大昔の事にちくりと掠める罪悪感は、私の心が弱っているからだろう。
そういえば喉が渇いている。隣で無心にスイカにむしゃぶりつく大樹の姿も手伝って、私もスイカを一切れ手にとった。
一切れと言うにはあまりにでかい。ずしりとした重みと、軽く刺すように広がる冷たさ。直ぐに体温と馴染んでいく。
「よく冷えてんだろー。川にずっと浸けといたからな!」
此方を見て大樹は誇らしげに言った。
………川?
網に容れられたスイカが清流に揺らされる、なんとものどかな情景が頭をよぎった。
「流石ド田舎…」
ぼそりと呟くと大樹はけらけら笑った。笑い声を聞きながら一口、かぷり。直ぐにじゅわりと溢れる果汁を慌てて啜る。私は大樹の様な不手際はしない。
「スイカって漢字でどう書くか知ってる?」
「ええーと、南の瓜?」
「ばか、それはかぼちゃでしょう」
かぷり、また一口。
「ああ、じゃあ西の瓜だ」
大樹は食べきったスイカの皮をお盆の上にカラリと転がした。
「良くできました」
「馬鹿にしてるなぁ」
大樹は二つ目のスイカに手を伸ばす事もなく、膝の上に肘をついて、此方を凝っと見てきた。なんだ、喧嘩売ってんのかと軽く睨むと、大樹はふいっとまた前に直る。一体何だと言うのだ。
「文さん、やっぱ叔母さん達は怒ってる?」
私はむっとしながら答えた。
「怒るどころじゃ無いわよ、あんなん!」
「だろうねー。出戻りとか離婚とか、あまり外聞は宜しくないし。それにしても短かったね」
家を出てたかだか三年でのこのこ帰ってきた娘に対し、家族は冷やかだ。
「私が悪いんじゃないって、言ってるのに」
恋愛結婚だった。それなのに、夫との結婚生活には直ぐに齟齬が生じ始めた。あの野郎にとって妻とはただの家政婦であり、奴隷であり、女ではないのだ。
DV受けて不倫されたのでなけなしの貯金はたいて離婚調停終結させて帰還しました、まる。
よくある話。
そんな身も心も疲れ果てた娘にバッシングとか…まじ無いわ。
大樹はふーん、と気の無い返事をしたから、ああコイツも敵方かと軽く落胆した。確か、私の結婚に両親以上に反対していたから、ざまぁみろとか思われてるんだろう。
孤立無援は虚しい。
「頑張ったなぁ、文さん」
ヘソを曲げて取り敢えず目の前のスイカをやっつけちゃおうともぐもぐやっていた時だった。取り敢えず、ぷぷい、とスイカの種を吹っ飛ばす。
聞き間違えかと私は大樹に向き直った。
「よく頑張ったな」
淡く微笑んで、大樹はわしりわしりと私の頭をかいぐった。
「ちょ、やめ」
「文さんは純情だしな」
敵に思えていただけに混乱する。
じわり。もう渇れきった筈の涙が、また両目から溢れてきた。
ああああ。もう、スイカなんかで水分補給したせいだ!大樹の馬鹿。馬鹿野郎。
初の、私の戦闘への評価が心に染みない訳がない。
馬鹿な男に引っ掛かって、周囲の反対振り切って上京して、離婚して。最悪の三年間。何って、私が。
でもね、一応私にも、汚い名誉欲っていう背景はあったかもしれないけれど、あんたの立派な『お姉ちゃん』の誇りがあるんだよ。五つも下の男に慰められたら、こんな所で大泣きしたら、また情けなくなるじゃないか。悔しいだろが。
しかし両目からはぼたぼたとさっきのスイカの水分が止まらず、喉からは嗚咽なんかも漏れていた。
大樹はくつり、とまた笑った。
「流石文さんは見る目無かったねぇ。昔っから頼り無さそうな駄目男ばっかり好きになってさ。それで地元の男には目もくれずにさらに上をいく駄目人間を…」
「ひどっあんたねぇ、」
撫でてくる手は優しいのに、掌を返したかのようなあんまりな言い草に大樹の手を振り払う。
ふざけんなと噛みついてやろうとボロボロの顔のまま頭を上げると、
「皆は離婚なんてって言ってるけどさ、俺は、そのぉ、間違いって誰でもあるっていうか…」
大樹はらしくない調子で、一生懸命に言葉を紡いでいた。違和感に、私も少し戸惑ってしまう。
「文さんが離婚してくれて…俺は嬉しい」
あれれ?
ひりひりする目を擦って、ぱちぱち大樹を見る。大樹はばっと目を逸らした。更にきょとんとしてしまう。あれ、あれ。どうして耳まで赤くなっちゃうの?
「――ッそれじゃあ、俺用事あるからっ」
大樹は勢いよく立ち上がった。私はまだぐるぐる、考えこんでいて。
またドタドタ音を立てて大樹は縁側を去っていった。段々遠くなる足音。
そういえば、いつからだっけなぁ、大樹が私を文姉ぇって呼ばなくなったのは。
時が経つと徐々に頭が冷えてくる。いっぱいいっぱいなのに余裕があるふりしちゃってさ、やっぱり可愛い弟分。
だからごめんね、ありがとう。
「あ、タマ」
入れ換わるように戻ってきたタマはゆるゆると尻尾を揺らしていた。静かになった縁側には、りりぃ…りりぃ…とか細く虫が鳴き始めていた。
―――――
お題うまく使えなかった(´・ω・`)
2011/12/03 rewrite
『彼女の、』
「何を描いているの?」
声に反応して鉛筆がとまる。机に向かっていた少年が顔をあげると、真正面に同級生の少女がいた。楽しそうに少年のノートを覗き込んでいる。彼女が更に屈むとそのしっとりとした長い黒髪が少年のノートに掛かった。乾いた音が小さくした。
「もしかして、街路樹、かな」
言って、少女は外に視線を向ける。
季節はもう冬。ストーブが掛かっていてぬくぬくと暖かい室内とは違い、外では裸になった樹木が凍えている。灰色の風景に沈んだ焦げ茶は大して格好良くも、美しくも無かった。
少年のノートには何本も黒い線が走っていた。濃淡があり、遠くからみると黒光りしている様に見える。
「ふぅん、上手だね。鉛筆でこんな描けるんだ」
少女は珍しい物を見る様に、しげしげと少年の絵を見詰める。きれいだなぁ、零れたそれは素直な感嘆の言葉だった。
賞賛の言葉を貰うと少年は俯いて、有り難うと小さく呟いた。心無しか、その頬には紅が差していた様に思えた。
少女は背筋を軽く伸ばして、今度は少年を見下ろした。髪の毛が元の位置に戻る。彼女の背負っている、鈍く赤い、傷んだランドセルが揺れた。
ちらりと少女を見やって、少年はまたノートに向かった。小さな静寂が二人の間に訪れる。鉛筆が紙を引っ掛ける音が妙に響いていた。
ねえ。少女はまた少年に話し掛けた。
「ねえまだ帰らないの?私、もう帰ろうと思うんだけど、」
「え?…ああ、もうそんな時間だったんだ」
少年が確認すると、教室の時計は5時を指していた。確かに小学生の彼等には、もう下校すべき時間だろう。
少年は指先で鉛筆をくるり、と器用に回して呟く様に言った。
「どうせだから、一緒に帰ろうかなぁ」
「…えー」
「えー、って」
少年は思いもよらぬ反論に対し具合悪そうにする。そんな彼を少女はクスクスと笑った。
「嘘嘘。途中までだけど、一緒に帰ろう」
さっき、少年の声が微かに震えていた事に少女は気付かなかった。
…もう何十年も前の話。
「――あの絵は、街路樹なんかじゃなかったんだよ」
あの時と同じ冬。今度は酷く冷える戸外。すっかり枯れてしまったような桜並木の下で、老人になった少年は生徒に語る。
「随分と歳をとったけれど、今でも覚えているよ。あれは、街路樹の絵ではなかったんだ」
同級生の少女は、あの時少年の絵を街路樹だ、綺麗だと賞した。少年は、褒められたのが中途半端に嬉しくて、本当の事を言えなくなってしまったのだ。
横で行儀良く話を――戯言を聞いてくれる自分の生徒を老人は愛しそうに見た。その目は凪いだ水面の様に穏やかだ。
ふふ、と彼は含み笑いをする。幸せそうな表情は、見方を変えると自嘲的な物にも見えた。
「…あれは、あの子の髪だったんだ」
長くてしっとりした美しい黒髪。どうしてだか手に入れたくなって、少年はそれを描いてノートに閉じ込めようとした。
……結局、見つかってしまったけれど、
街路樹、かな。
少女の勘違いは少年を安堵させた反面、落胆もさせた。
老人は何かを探す様に、視線を虚空に彷徨わせた。
「あの時からだなぁ、沢山絵を描くようになったのは」
生徒も一緒になって、師の視線の先を追おうとする。やはり、何も無かった。
その老人は今も、あの頃の少女の絵を描き続けている。
—————
古い…ちょっと恥ずかしいw
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