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梅千代の創作物の保管庫です。
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山道に入る直前で私は馬を止めた。綱を引くと煩わしそうに息を吐いた後、馬は停止する。どうどうと軽くいなしてから、私は馬から降りた。軽く暴走したお陰で、感情の泡立ったような不快感は治まっていた。

視界は既に赤に染まっている。山中へと続く細い道は、紅葉のアーチに飾られていた。

勿論我が国の木も紅葉するし、メイプルの木もある。しかし、こちらの物に比べると大振りだ。

繊細で、可愛らしい大きさの葉のせいか此方の赤は濃密で、それでいて落ち着いた赤だった。

「もみぢがり」

呟いて、一枚葉を摘み取ってみる。前より巧く発音出来ただろうか。…無論、意味の違いは解っている。収集したい訳では無いのだ。綺麗なものを見ると触って、自分のものにしたいと思う人間の性だ。

紅葉の葉は赤子がいっぱいに手を広げた形に似ていて、愛しく感じた。

「ミスター!!」

葉を摘まんだまま、私は今は来た道を振り返った。シュウの声だ。シュウは息を切らして、駆けて来ている所だった。

漸う着いて、シュウはうらめしそうに私を見た。

「お…驚き、ました…。あまり、私の側を離れないで下さい。」

発せられる言葉は息が縺れて苦しそうだ。すまない、と私は軽く謝った。

シュウは何故か、はっと目を見開いて、困ったような表情になった。

「何か間違いが?」
「いえ…ミスター。ただ、先程謝罪は云々と仰っていらっしゃったので、」

ああ。生真面目な彼らしい質問だ。私は簡単に補足する。

「あれは外交の話だよ。普段、友人に悪いことをしたら謝るさ」

友人、という言葉に顔を少し赤くして、シュウは激しく頷いた。

マニュアルに囚われる様な頭の固さじゃ駄目だぞ、と茶化すと、シュウはまた謝った。からかうのも可哀想なので、それは気にしない事にした。

ふと、視線を横にやると、小さな頭が木の横から覗いているのが見えた。それは目が合うや否や木の影に引っ込んでしまった。

馬をシュウに預け、私は今見つけた可愛い小人が隠れている方へゆっくり近付いた。

ひょい、と木の後ろを覗き込むと、子供はまだ其処に居た。どうやら、怖くなって動けなかった様だ。肩は小刻みに震えているし、木ノ実の様な瞳は涙で潤んで、今にも零れてしまいそうだ。

「…こんにチは?」

にっこり、此方に敵意が無いことを示しながら、私は話し掛けた。びくり、とまた少女の肩が跳ねる。もしかして体が大きいのがいけないのだろうか、と屈んで視線を合わせてみた。

私を真っ直ぐに見た黒い目がぱちりぱちり、瞬きをして涙の粒が頬の柔らかな曲線を転がっていった。

――こん、にちわ

舌足らずな声が私と同じ言葉を発音する。私が日本語を話した事でホッとしたのか、少女はもじもじと更に言った。

――あの。あなたはてんぐさまですか?

テングサマ?

私はよくわからなくて、首を傾げた。その間も少女はじぃっと、私の目を見ていた。

また一つ、彼女の口から単語が発せられた。

この位なら、後でシュウに確認しなくたってわかる。

――きれい。

つまり、美しい、という意味だ。

恐らくは私の目に向けて発せられた言葉だ。緑の目は英国ではよくあるが、日本で色つきの虹彩を持っているのは猫ぐらいだし、やはり珍しい物なのだろう。

自然に笑みが浮かんでくる。中々悪くない気分だ。

「アリガト」

手を伸ばすと、また怖がられてしまったが、構わず頭を撫でるとキョトン、と変な顔をされた。

その後に彼女が見せてくれた困ったような、でもとびきりの笑顔は私が今まで見てきた中で一番のものだったと思う。

「村の子供の様ですね」

シュウは背後から私に英語で話しかけると、此方にやってきた。馬は樹に繋いだらしい。ほんの少し、視線が冷やかなのは気のせいだろうか?

少女はシュウを視認するや否や、膝と手を地について、拝伏した。

こんな幼い子が、何を?

突然の事に固まっていると、シュウは日本語で何やら少女に告げた。イントネーションは固くて、何だか言いつけてる様だった。早口で、私には全く聞き取れない。それを受けた少女はおずおずと、居心地悪そうに顔を上げた。額に少し泥が付いてしまっている。表情には困惑が見てとれた。畳み掛けるように、シュウがまた何かを話す。私は完全に放置されていた。

「ねぇ」

思わず声を掛けるとシュウは私を振り返る。私は視線で少女を指した。

「何を話しているんだい?」
「些末なことです。お気になさらないで下さい」

口調から、何も教えて貰えなさそうなことは悟った。私はもう一つ、気になっていたことを尋ねた。

「この子は、まだ幼いのに君に跪くのか」

シュウは少し、むつかしそうな表情を浮かべた。

「…そういう文化なのです」

こちらの説明はしてくれる様だ。

「この国は、印度とまでは言いませんが身分制度が徹底しています」
「いや、解ってはいたのだが…目の当たりにしたのは初めてで」

そう言えば、この国の特権階級の、一握りの人々しか私は触れ合った事は無いのだった。当然なのに気付いていなかった事実に、私は少し落ち込んだ。

もっと知りたいのに。この国が。しかし私は表層しか撫でていない。

前にシュウに欧州の風土を偉そうに教えた事も恥ずかしく思えた。



「ねぇ、シュウ、」

紅葉を眺めながら、私はシュウに訊ねた。先程の少女とは別れて、随分経つ。

「テングサマ――ってなんだい?」
「テングサマ?」

シュウは一寸悩んで、ああ、と理解する。

「天狗ですね」
「テング?」
「ええ、サマは尊称です」

シュウの説明によると、この国の神様の一種らしい。(日本は仏教と神教があるとは聞いていたが…多神教と捉えて良いのだろうか?)主に風を操り、山の上に住んでいる。鼻が高くて、そのせいで天狗と言われたのではないか、と言うことだった。

「欧州人は天狗にそっくりだ、とも言われていました」

本当は全然違いますよ、とシュウは笑った。

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『親日天狗』



私が「日本」という極東の小さな島国に降り立った時に持った感想は『異国』という事だった。勿論、それは至極当然な事実に相違ない。ここで私が言いたいのは、この日本という国が我々の住まう欧州と全く異なった文化形態を持っている、という事だった。

異様な小さな家屋(あろうことか紙と木と土で出来ている!)、異様な髪形(清国の弁髪とはまた違っている)、異様な着物…。

しかしながら、それらは奇跡のようにマッチしており、ここまで何もかも違う国を何故美しいと認められるのか、自分でもわからない。

そして今、私はその美しさを再確認する。

「…素晴らしい!」

ぼそり、と言葉はいつの間にか漏れていた。季節は秋。思わず立ち止まって見上げた先には、天を焦がす火のように、真っ赤に燃え盛る山が現れていた。遠目に見ても、ここまで見事な紅葉は見たことがない。広々とした視界の蒼や碧も相俟って、何とも言えなかった。

「光栄です」

馬を従えて隣に立つ、私の案内係の青年は誇らしげに礼を述べた。彼の名はシュウイチ、というらしい。面倒なので専らシュウ、と呼んでいる。

一体、この国の人々を学の無い野蛮な輩だと言った奴は誰なんだ。この青年は、私たちの国の言葉を実に流暢に話す。それとも、彼が例外なのだろうか。

因みにシュウは日本の王朝(?)の大臣格の人で、普段は此方に留まる私の世話をしてくれている。今日は日本の景色を見たいという私の我が儘に付き合わせている。

また、シュウは知識を得ることに貪欲で有る様なので、私は個人的に英国の事について教えてあげる事にしていた。会話も専らその事ばかりで、シュウの私への奉仕はそれでおあいこ、という訳だ。

私はからりと乾燥した、冷気を吸い込んだ。

「モミヂガリ、というんだったかな」

私が尋ねるとシュウは静かに頷いた。

「直訳だとハンティング オブ レッド メイプル…?こちらの言い回しは実に興味深い」

私は感慨深く、そう言った。私はこの様に日本に視察に来ているが、実の所あまり日本語が話せない。まだここの語学を学び初めて日が浅いせいもある。ヒアリングも簡単な単語を幾つか拾うのがやっとだ。

シュウは人の良さそうな笑顔を浮かべて、言った。

「私共には、英国の言い回しもまた不思議で面白いものに感じます」

彼は一つ、日本語で諺を挙げた。短い文だったが私には意味が巧くとれなかった。首を捻る私に、シュウは英語で意味を付け足してくれた。そうしてやっと、私の頭には一つの言葉が浮かんだ。

「……"雑草は死なない"かな」

「ええ、それです」

にこり、とシュウは笑みを深くした。そしてまだ立ち止まっている私を促すように歩き出す。引かれている馬は震えるように首を振った。がしゃり、と彼の腰のカタナが金属独特の重い音を立てた。

私は先程シュウが言った日本語をなぞった。

「ニクマルコ、ヨニ…ハバ?」

途中で良くわからなくなる。どうしてこう、ややこしい発音なのだろうか。

「ニ…ニク…」

堪えきれなかった様にシュウは吹き出した。私は少しの羞恥で頬が熱くなるのを感じた。

「うう…シュウ、酷いよ……」

悄気た声色で、私は拗ねて見せた。勿論わざとで、直ぐにわかってしまう演技だった。私が期待したのはじゃれあいだったのだが…

「も、申し訳御座いませんでした!!」

…しかし、彼は酷く慌てた様子で私に謝罪した。しっかりと腰を折り、頭を下げる。逆にこちらが慌ててしまった程だ。シュウの後ろでぶるるん、とまた馬が首を震うのが妙に間抜けだった。

「おいおい、殆どジョークだよ!!そんなに情けない顔をしないでくれ」
「しかし…」

すっかり恐縮した様子で、シュウは私を伺った。真面目な彼にはちょっとしたユーモアが伝わらないみたいだ。私は苦笑した。

さらりと乾燥した風が額を撫でて過ぎ去る。今は比較的穏やかな、この国。

真面目な話をしようか。

「シュウ、君は外交にも興味があるかい?」

私の唐突な話にシュウは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「え…は、はい」

出来ることなら関わりたいのだと彼は控えめに付け足した。私が彼に教えていたのは内政の事ばかりだったので、ふんふんと頷いた。此れからはそっちの分野も教えてあげようかな、と思いながら。

「それなら一応、ね」

どうでも良いことかもしれない。だけど、見識の違いで苦しむのは君達の方だから。

じゃり、と革靴と地面が擦れた。俯くと革靴はくぐもった色になっていた。土埃の為だろう。

「私の国で、謝罪は敗北宣言なんだよ」

巧く意味が伝わってないのか、シュウは曖昧に頷いた。

「この国では謝罪で済む事が多いみたいだけど外ではそうもいかないんだ。…あまり、頭を下げるのは良くないよ。君が私に敬意を払ってくれているのはわかるんだけれどね。癖みたいだからさぁ」

シュウを追い抜いて、私は歩を進めた。一本道は、小さな集落に続いている。

――ブシノナサケ、ですか。

何か悩んだ後、呟かれた彼の日本語の独り言は放っておいた。



暫く歩くと、先程から見えていた、山の麓の小さな集落に差し掛かった。こじんまりとした家々の前を通り過ぎる。日本の民草の生活ぶりが垣間見れるのは喜ばしいのだが、何せ、わたしは。

此方を見て、家に引っ込んでしまう者も何人かいた。珍しそうに見てくる者も数人、そして、私が敵の様に睨み付ける者も。

私は彼等を刺激しないようにそっと歩いた。一部の頑固者に招かれざる客である自覚はあるのだ。

真実、国を踏み荒らす者だから。

「…少し、急ぎましょう。日が暮れてしまいます」

シュウの言葉が建前で有ることは言われずとも解った。だから余計に気に障った。

私は馬に素早く跨がると、砂煙が上がるのも構わず、村を突き抜けるよう一直線に駆けていった。シュウの驚いた顔が目の端に残る。まぁ、でも、後からシュウも来るだろう。村の端、山の手前で待っている事にした。

こんな美しい国の人々が、汚れた心なんて、本当は持っていないに違いないのに。

無性に虚しかった。

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『鎹(かすがい)』



近頃は何でも、若くして成熟してしまうモノらしい。どっかのフィギュアスケート選手やプロゴルファーが良い例で、最年少記録は次々と塗り替えられている。記録は塗り替えられる物だとかメディアは特例しか取り沙汰しないだとかと言ってしまえばそれまでだ。しかし、傾向としては否定できないだろう。

…だからと言って、こんな事が予想出来る訳が無い。私は目の前の幼子に意識して笑いかける。うまく笑えているだろうか。

幼児は、私の同級生に抱かれている。ちょうど同級生の片側の腕に体重を乗せる様にして、体を捻って私の方を向いていた。真っ黒な、先入観のない瞳に私が映り込んでいる。出来た人間でない自信がある私は、その目に恐怖や羞恥を感じていた。

案の定、幼子はぐずりだした。

「あはは、泣かれたァ」

同級生は本当に愉快そうに笑い、体を揺らして幼子をあやした。

私はせめて同級生にだけは悟られ無いように、鬱々とした感情を押し込めて苦笑してみせるのだった。





事の始まりはこうだ。

小学校時代に仲の良かった友人、紺野葉菜とコンビニで行き合った。気恥ずかしさに懐かしさが勝って、思わず話し掛けたところ、彼女は2歳くらいの子供を抱いていた。

親戚の子?可愛いね。

普通に考えて流れとしてはこう、尋ねるだろう。私は至極当然だが、従妹の子が遊びに来ている――といった返答を期待していた。

しかし彼女は馬鹿な雀が簡易な罠にうっかりかかった時の様な、嬉しそうな顔をして、さらりと言ってのけたのだった。

――可愛くて、当然だよ。だって私の娘だもの!!

コンビニの空調がぶっ壊れて、私を狙ってブリザードを吹かしてるのかと思った。

なんてこった、同級生は既に出産、若しかしたら結婚という一大イベントをこなしてしまっていたのだ!

一時は放心状態に陥り、コミュニケーションの作法が完全にゲシュタルト崩壊を起こしていたが、現世の時の流れは何せ早い。彼女は何のアクションも起こさない私を器のデカイ奴と良いように解釈してくれた様だった。


至現在。

いつもは人見知りしないのになぁ、と彼女は唇を尖らせた。幼児の睫毛には涙が溜まっていて、それは表面張力だけで辛うじて引っ掛かっている。頬を伝ったかどうかは、顔を葉菜の胸にうずめてしまった為わからなかった。

人見知りをしない、それは結構な事だ、良いお子さんだ。葉菜は私のフォローをしてくれる心算は毛頭無いらしかった。

コンビニのキンキンに冷えた空気の所為だ、頭が痛い。

「い…いつ産んだの…?」
「ん?んーと、高一のクリスマスイブ」

動揺がそろそろ漏れ出してきた私を尻目に、彼女は飄々と答えた。

にへり、と葉菜は弛んだ笑顔を見せる。

「だからね、名前は聖夜って書いて"のえる"っていうのぉ」

「へぇー…そーなんだー可愛いねー」

まさか貴女がフランス生まれのクリスチャンだったなんて気付きませんでした、なんて内心軽く毒づく。

確かその名前はネットで残念な名前にランクインしていた気もするが、それもまた胸の内に留めておいた。学校に入ったとき先生にすんなりとは読んで貰えない名前だな、と思った。

くちゅんっ、と聖夜ちゃんが可愛らしいくしゃみを一つしたのを切っ掛けに、私達は各々の会計を済ませて、何とはなしに一緒に外に出た。

夏の太陽はギラギラと私達を刺す。温度差も相俟って、オーブンに投げ込まれた豚の気分である。私は思わず制服のネクタイを外して、鞄に突っ込んだ。襟首を掴み、パタパタと振って空気を送り込む。

ちろ、と葉菜の視線が私に動いた。

「…制服懐かしいー」

彼女の表情に、後悔といったマイナスの感情は伺えなかった。妊娠、出産。考えれば当然の事だ、日本はアメリカのように、低年齢での出産に前向きではない。

葉菜はスチャ、と携帯を取り出したと思うと、

「これが生まれて2ヶ月の時の写真でー、」
と親バカ丸出しで聖夜ちゃんの写メを見せつけてきた。ふとクラスのヲタい子の口調を思い出す。

『俺の娘フォルダが火を吹くぜ!!』

携帯画面の聖夜ちゃんは今よりもっとふっくらとしていて、もっちりとした掌をこちらに伸ばしていた。何枚も示されたがいずれも笑顔で、撮影者への好意が認められた。そして何故だか、画面の向こうには幸福が質量として存在しているように感じられた。

葉菜と二、三世間話を交わし、彼女の状況を何と無く理解した後私は帰路についた。いやぁ、吃驚することもあるもんだなぁー、と暢気にぷらぷらと歩いた。

しかし、その一時訪れた許容と心の平穏は、一瞬にして粉砕される事となるのだった。





「あら、違うわよ」

帰宅して、台所で洗い物していた母に今日あった事の子細を伝えると、キョトンとした顔で此方を振り向いた。リビングのソファに膝を抱えて座り込んでいる私も、多分同じ顔をしているのだと思う。

ざぁざぁ、水の流れる音に若干不安になると、母はまた汚れた食器に向かい合った。葉菜と聖夜ちゃんの話をしている時に気付いたのだが、母は少し前からその話を知っていた様だ。私に話さなかったのは、タイミングが合わなかったからなのか。

私は何が違うの?と尋ねた。母の手元から、虹色の泡がぷくりと飛び立つのが見えた。不安定に浮かび上がり、直ぐに弾けて飛び散る。

「出産したのは、葉菜ちゃんの妹の陽菜ちゃんの方よ」
「……え?」

不随意な声が零れ落ちた。

そういえば、葉菜には妹が居たなぁというやけにのんびりとした感想が一つ。そして、妹と言うことは、

「確か、十四歳になったばかりで産んだらしいわよ」

尋ねる迄もなく噂話はつるつると母の口を滑って出てくる。母の声は僅かに興奮を含んで上擦っていた。

「当然だけど中学には行かないでね。でも、十四歳だと結婚もできないじゃない。父親は十六だったらしいんだけど、陽菜ちゃん捨てられちゃったらしいのよ。それもあって、陽菜ちゃんは自分の娘の面倒見てないそうよ」

らしい、だそうだ、の連続に辟易とする。曖昧な言葉はしかし、重い真実を含んでいるようだった。私はむずむずと体を動かす。皮張りのソファが肌に粘って、不快だ。

母の口調は澱み無くて、どうやら私に話をしなかったのは御近所で話し尽くして満足した為だったみたいだ。

尚も母は続ける。

「まぁ、まだ子供だから仕方ないかもしれないけど、あんまりにも無責任よねぇ!子供ほったからして、学校も無いから遊び歩いて…」
「…」
「まず産んだのが問題じゃないかしら」

もうやめてくれ、と言いたいのに口がカラカラして喉が詰まって何も出てこない。私が会った子供の存在をこうもあっさり否定されたという事が純粋に恐ろしかった。母の言葉を拾う耳から、更には脳に反響する音で大事な何かが腐っていく錯覚に陥った。

「それで、葉菜ちゃんが子供の面倒見てるのよ」

母は洗い物を終えて溜め息を吐きながらダイニングの椅子に腰をおろした。私の方は見ない。自分の得た噂話を披露する事に完全に陶酔しているようだ。

「学校もやめて、ずっとお世話しているのよ。あの家、両親ともフルタイムで働いてるから。それも問題あると思うけど。何だか葉菜ちゃんが犠牲になってるみたいで、聞いてるこっちが嫌だったわ」

でも、と母は付け足す。ぼんやりと、視線を漂わせて…何かを思い返しているのだろうか。
「……偉いわよね」

ぽつりと母は葉菜を評価した。

自己犠牲が果たして評価すべき対象なのかは置いておいて、私も母のように、虚空に思いを巡らせる。自発的に思い出されたのは、先程の葉菜の笑顔だ。

慣れた手付きで子供を抱いて、あやして、そして誇らしそうに私に笑いかける。包み込むような笑顔――葉菜にとっては私も大きな子供だったのかもしれない。

そして私は気が付いた。葉菜は、終始笑顔だったのだ。私に子育ての辛さを愚痴る事もせず、姪っ子を娘と言って、精一杯の愛情で包んでいた。

愛で何でも出来る訳じゃない、けれど、彼女の中では辛いこと、苦しい事よりも姪っ子への思いが勝っているのだ。だから笑える。聖夜ちゃんの自慢が出来る。

「のえるって、言うんだってさ」

その子の名前、知ってる?声は勝手に震えた。

「十二月二十四日に生まれたから、聖夜って書いて、のえるなんだって」

太陽みたいな笑顔が、脳の中でゆらゆら揺れる。滲む。心の中に確かに沁み込んだ。

「すごい名前ね…」

すごい、は勿論悪い意味で使われていて、母は呆れと、侮蔑に似た表情を浮かべて言う。コンビニで動揺して、心の隅っこで葉菜を馬鹿にしていた私が見えた。胸が自分と母への嫌悪で一杯になってつかえる。これは猛省せねばなるまい。

私は深呼吸を一つした。

明日、葉菜の家に顔を出してみよう。何か手伝えたら良いかもしれない。話を聞くだけでも良いかもしれない。あの暖かな愛に私は焦がれていた。

外の橙の中には、ばいばい、またねの声が響いていた。

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