梅千代の創作物の保管庫です。
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『彼女の、』
「何を描いているの?」
声に反応して鉛筆がとまる。机に向かっていた少年が顔をあげると、真正面に同級生の少女がいた。楽しそうに少年のノートを覗き込んでいる。彼女が更に屈むとそのしっとりとした長い黒髪が少年のノートに掛かった。乾いた音が小さくした。
「もしかして、街路樹、かな」
言って、少女は外に視線を向ける。
季節はもう冬。ストーブが掛かっていてぬくぬくと暖かい室内とは違い、外では裸になった樹木が凍えている。灰色の風景に沈んだ焦げ茶は大して格好良くも、美しくも無かった。
少年のノートには何本も黒い線が走っていた。濃淡があり、遠くからみると黒光りしている様に見える。
「ふぅん、上手だね。鉛筆でこんな描けるんだ」
少女は珍しい物を見る様に、しげしげと少年の絵を見詰める。きれいだなぁ、零れたそれは素直な感嘆の言葉だった。
賞賛の言葉を貰うと少年は俯いて、有り難うと小さく呟いた。心無しか、その頬には紅が差していた様に思えた。
少女は背筋を軽く伸ばして、今度は少年を見下ろした。髪の毛が元の位置に戻る。彼女の背負っている、鈍く赤い、傷んだランドセルが揺れた。
ちらりと少女を見やって、少年はまたノートに向かった。小さな静寂が二人の間に訪れる。鉛筆が紙を引っ掛ける音が妙に響いていた。
ねえ。少女はまた少年に話し掛けた。
「ねえまだ帰らないの?私、もう帰ろうと思うんだけど、」
「え?…ああ、もうそんな時間だったんだ」
少年が確認すると、教室の時計は5時を指していた。確かに小学生の彼等には、もう下校すべき時間だろう。
少年は指先で鉛筆をくるり、と器用に回して呟く様に言った。
「どうせだから、一緒に帰ろうかなぁ」
「…えー」
「えー、って」
少年は思いもよらぬ反論に対し具合悪そうにする。そんな彼を少女はクスクスと笑った。
「嘘嘘。途中までだけど、一緒に帰ろう」
さっき、少年の声が微かに震えていた事に少女は気付かなかった。
…もう何十年も前の話。
「――あの絵は、街路樹なんかじゃなかったんだよ」
あの時と同じ冬。今度は酷く冷える戸外。すっかり枯れてしまったような桜並木の下で、老人になった少年は生徒に語る。
「随分と歳をとったけれど、今でも覚えているよ。あれは、街路樹の絵ではなかったんだ」
同級生の少女は、あの時少年の絵を街路樹だ、綺麗だと賞した。少年は、褒められたのが中途半端に嬉しくて、本当の事を言えなくなってしまったのだ。
横で行儀良く話を――戯言を聞いてくれる自分の生徒を老人は愛しそうに見た。その目は凪いだ水面の様に穏やかだ。
ふふ、と彼は含み笑いをする。幸せそうな表情は、見方を変えると自嘲的な物にも見えた。
「…あれは、あの子の髪だったんだ」
長くてしっとりした美しい黒髪。どうしてだか手に入れたくなって、少年はそれを描いてノートに閉じ込めようとした。
……結局、見つかってしまったけれど、
街路樹、かな。
少女の勘違いは少年を安堵させた反面、落胆もさせた。
老人は何かを探す様に、視線を虚空に彷徨わせた。
「あの時からだなぁ、沢山絵を描くようになったのは」
生徒も一緒になって、師の視線の先を追おうとする。やはり、何も無かった。
その老人は今も、あの頃の少女の絵を描き続けている。
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古い…ちょっと恥ずかしいw
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